桂川は左京区の広河原あたりに源を発して西に向かい、

禁裏御料所であった山国荘から周山、日吉を経て、

南から東へ向かうあたりから大堰川、更には保津川とその名を変えるが、

嵐山より下流は再び桂川という呼称に戻る。


この桂川が世木ダムに流れ込むすぐ上流、

京都市の北方、京北町に宇津という所がある。


源氏の名族で美濃の守護職であった土岐氏の一族が、

斎藤道三に追われこの地に移り住んだと伝えられている。

その後この丹波の国は織田信長から土岐氏の支流である明智光秀に与えられたが、

土岐氏は今もこの地にその名を残している。

宇津は土岐氏の別姓である。


平成九年度の猟期、ケイ七歳半ばの時。

まだ雪もなく晩秋の爽やかに晴れた初猟の頃、私はこの谷を発見した。


小さな枝谷や迫が複雑に入り組んだこの谷には名前がなく、

同じ丹波の亀岡市に同名の谷があると知るまでは、

私はこの谷を明智谷と呼んでいたのである。


100m余りの短い進入路から先は林道と呼べるものはおろか杣道すら無く、

大きな岩が剥き出しの涸沢には、

いたるところに間伐丸太で作られた梯子状の橋が渡されていたが、

木材の搬出に使われていた頃からは相当の年月が経過していたのか、

腐蝕が激しく進み全く用をなしてはいなかった。


底に金属スパイクを打ちつけた猟用のブーツでも、

土踏まずの部分は全くパターンもなく、

うっかりこの部分で露に濡れた丸太を踏めば、

氷のように滑るので細心の注意が必要であった。


沢の右岸へ左岸へと、

拠り所になるしっかりとした岩を選んで登った。

すぐに射撃準備に移れるように、背には負わず腕で銃を保持しながら進んだ。

最近の銃は合成樹脂が多用され、かなりの軽量化が図られているが、

頑丈なのがとりえの1972年ベルギー Fablic National社製 Browning A5 は

4kgを超える無骨な鉄と木からなる代物で、

不安定な足元ではバランスをとるのが結構難しい。


彼は丸太梯子や岩場の間を擦り抜けて、

狐のように巧みに沢を登って行った。

道のない急な沢を登りきると、開けた平坦な場所があり、

彼はそこで私の到着を待っていた。

そこは楓の葉状に幾つかの枝谷や迫が集まっている谷の中心部であった。


この谷に入って間もなく私はヤマドリが棲息している確信を得ていた。

鳥撃ちが猟場を選定する方法は個々に違うのだろうが、

私は鳥の立場に立って考える。

つまりキジやヤマドリの身になって、

棲みやすいかどうか考えてみるのである。

経験から来るものだが、

地形、植生をはじめその場で感じられる空気が微妙に違うのである。


人が入った形跡はほとんど見当たらず、

沢筋一帯にヤマドリが好む羊歯の一種が群生していた。

沢の水量は少なく涸れてはいたが、

所々に水溜りが残っていた。

樹間から朝日の射し込みそうな場所に生えている羊歯の葉に、

真新しいヤマドリの嘴痕が残っていた。


散弾銃の空薬莢も見つけたが、

メーカーや弾種さえ分からないほどに錆び付いていて、

おそらく丸太梯子の足場が朽ちる何年も前のものと推定した。


彼は私の到着するまでに既に枝谷や迫の検分を終えていたのだろうか、

南に面している一番大きな谷に躊躇なく向かって進んで行った。

ここへ来るまでは道など全くなかったのだが、

ここから上の枝谷にはそれぞれに杣道もつけられていた。

私は弾倉に6号弾2発を押込んで、

彼の後から沢を進み出した。


谷の両脇に規則正しく植えられた杉の若木の向こうに稜線が見え、

木材搬出のケーブルを固定するために

一本だけ残されたひときわ大きな木が立っていた。


彼は何度も沢にその姿を見せて忙しく動き回っていたが、

私から100m余り先で一度静止した後、

突然斜面にその姿を消した。


彼がどこにいるのか眼では分からなかったが、

時折滑落する小石の音で居場所を知ることが出来た。


その後暫らく彼が姿を現さなかったので鳥臭に付いたと考えて、

私は薬室に6号弾を装填し、

安全装置に指先をかけたまま銃を腰溜めにして、

半身の姿勢で待機した。


好天で南斜面、一面杉の若木なので視界を遮るものは何もなかった。

暫らくして、彼が例のごとく二度吠えた。

翔び発った鳥を見送る時の出し泣きであった。

すぐにヤマドリが若杉の樹冠の上に浮かび揚がるのが見え、

雄であることも確認できた。


しかし突然にその後ヤマドリの姿が視界から消え、

どの方向へ翔んだのか分からなくなった。

少し慌てたが良く眼を凝らすとヤマドリは稜線上の大木の樹影の中にいて、

こちらに向かって降下を始めていたのである。


ヤマドリが真直線に向かって来たので距離感が掴めず、

私はたまらず据銃して射撃姿勢に入ってしまったのだが、

これが逆に好結果をもたらすこととなったのである。


私が動いたのが早かったため、

ヤマドリはかなり前方で私の姿を視認したらしく、

左へ旋回を開始しながら

一気に隣の谷との稜線を越えようと浮かび揚ったのだが、

その時私に右腹を見せてしまったのである。


真正面からの迎え矢は投影面積が小さく、

距離感が掴めないので難しいのだが、

斜めになると格段に撃ち易くなる。


同じスピードで翔んでいても、

遠くのものは遅く、近くのものは早く見えるのは当然だが、

クレー射撃でも浮かび揚るクレーは撃ち易いのである。


私は無意識に安全装置を解除し引鉄を引いていた。

2cmほど銃床を切り詰めたこのポンコツのBrowningは、

既に私の身体の一部分となり、馴染んでいた。


クレー射撃でも時々経験する散開パターンの芯で捉えたクリーン・ショット。

充分な手応えとそれを裏付ける羽毛の花火。

会心の一撃だった。


それまで動だった飛翔が瞬時に静の落下に変わり、

ヤマドリは稜線の向こうへと落ちて行った。


彼が私の足元まで降りてきた時、

辺りはまだ硝煙の匂いが立ち込める中、

蒲公英の綿毛を飛ばしたように羽毛が舞っていた。


彼はヤマドリが方向を変えたのを見ていたのか、

隣の谷に移ろうとして斜面を登りかけたが、

人間の体力では越えるのがきついので、

元のところまで降ってから隣の沢を登ろうと私は彼を静止した。

半矢の可能性があれば別だが、

あの当たりでは即死状態で、

慣性で稜線は越えただろうが、這うほどの余力もなく、

谷の斜面から転げ落ちているものと確信していたのである。


一旦元の開けた場所まで降り、隣の枝沢を登って行った。

彼はすぐさまヤマドリが落ちた左側の斜面で捜索を開始した。

私は彼がヤマドリをすぐにでも咥えて来るだろうと思いながら歩を進めたが、

私が到着した時、彼は依然として捜索を続けていた。


斜面が急傾斜なので、

多分に沢近くまで転がっていると思っていたのだが、

平らな部分ではヤマドリを発見することはできなかった。


彼が余り遠くまで捜索せず、

しきりにある一点からその周囲を嗅ぎ回るので、

私は何があるのか確認しようと少し斜面を登り、その地点まで辿りついた。


そこには杉の根元に枯枝が何本か重なり、

杉の枯葉を集めて少し平らな面が形成されていた。

良く見ると、クヌギ類の大きな枯葉に

血に染まったヤマドリの羽毛がこびり付いていた。

彼はこの痕跡を基点に捜索していたのである。


当時、彼の半矢鳥回収能力は完璧に近く、

手傷さえ負っていれば何百m先からでも回収して来た。

茨の砦に逃げ込んだ半矢のキジを、私の判断で断念したことはあったものの、

これだけの痕跡がありながら、彼が足を伸ばさないことなど皆無であった。


しかし彼はこの時、この基点から数十mと離れることもなく、

直ぐに戻っては再度離れて捜索する動作を何度も繰り返した。

臭線が繋がらなかったのに違いない。


かなりの時間が経過したが、終に彼は私の視野から離れることはなかった。

射撃地点から移動してくる僅か5分ほどの間に、

ヤマドリは忽然とその姿を消してしまったのである。



現在は若杉も驚くほどに成長し、

当時とは谷の様子も随分と変わっているが、

今もこの谷に入った時、射撃地点に立ち据銃して、

あのクリーン・ショットを再現してみる。


私はあの時の一撃に自信を持っている。

30m、6号弾の迎え矢、

ボツッという鈍い音とともにヤマドリの羽毛は放射状に飛散した。

鳥体の中心に当たっていることの証しなのである。


堅い風切羽に護られていない腹には、

少なくとも10粒以上の直撃弾が入っていただろう。

脚にも当たっていたことだろうが、

這って逃げるどころか、空中でショック死しているのが当然なのである。


あの時彼を直接隣の谷に向かわせていたらと悔やまれるが、

果たしてあのヤマドリはどこへ消えたのであろうか。


山には神がいると言うが、

このご時世に神隠しを信じる人はいないであろう。


沢にはヤマドリを流し去るほどの水量もない。

この日、私は自分たち以外の動物を一切見かけてはいなかったし、

もし近くに他の動物がいたとしても彼に感づかれるか、

私たちの気配を感じてそれらの方から遠ざかって行く筈であり、

まして散弾銃の轟音を聞かされてまで、

その場所に留まっていたとは考えられないのである。


もしテンやイタチならヤマドリを引きずって行かねばならず、

それでは地表にヤマドリの匂いを付けてしまう。

それを彼が嗅ぎつけて追わない筈はないから、

ヤマドリは空中を運ばれたと考えられるのである。


常識的にはキツネ、タヌキ、アライグマ、

クマとあと猛禽類ということになるが、

見ていた訳ではなく、真実は全く分からない。


決して自然と共に生きているとは言えない私たち現代人にとって、

不可解な現象がそこにある。

もう忘れてしまった自然との生業なのかもしれないが、

この事件で念頭から外せないのが野犬と人間であり、

決して土岐や明智の亡霊などであろう筈もないのだが・・


=つづく=


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