彼は平成2年4月20日、

ミッキーは平成5年12月24日の生まれである。

彼が当犬舎に来たのは血統書上は平成4年元旦になっているが、

実際は平成3年の12月28日であった。


平成3年度の後半と4年度、5年度の猟期を共にし、

私たちは既に良きパートナーであった。

私は彼に絶大の信頼を置いていた。

大袈裟な表現だが、

彼によって鳥猟の何たるかを知らされたのである。


彼が否定した谷や叢には決して鳥はいなかったし、

彼の進むところたとえ羽音だけであっても、

期待を裏切られることはなかった。


人間の身体能力には限界があり、

いつも射程距離内に入れる訳ではない。

深いブッシュや木立の中では

鳥の姿を見ることもできない場合が多々あるが、

彼は私にキジ科独特の豪快な羽音を聞かせてくれることで、

それまでの過程が決して無駄ではなかったことを知らせてくれた。


平成5年度の猟期も終わろうとしていた6年2月、

私は彼に妻を迎えさせようと思った。

この頃はまだ後継犬の必要性はなかったが、

人並みに彼にも家族を持たせようと考えたのである。


この時、彼は人間なら30歳を越したほどの齢である4歳を

やがて迎えようとしていた。


成犬を求めるのは難しい。

個体数の少ない犬種では尚更のことである。

手放すからには何らかの理由があり、

その真偽を確認することは不可能に近い。

仔犬を得るためだけの交配なら手段も考えられたが、

譲り受けるとなると簡単ではないことは自明の理であった。

二代前に異系統の血が導入されているとは言え、

彼の血はかなり濃かった。

著名なブリーダーを当ってみたが適当な仔犬はいなく、

全猟誌で生後2ヵ月目の仔犬が鹿児島にいることを知った。

伊勢長島の吉田氏所有の『TR.ドリック・ド・スゥ・レ・ヴィヴィエール』を

父方の祖先にもつ系統だった。

これなら安心と早速に話をまとめてはみたものの、

ワクチン接種時期の問題や、仕事のスケジュールその他が噛み合わず、

結局3月下旬に移送することになってしまった。

こうして生後3ヶ月の

『幼な妻』と呼ぶにさえ余りにも幼いミッキーがやって来たのである。


彼と彼女の初めての子供たちが生まれたのは翌平成7年7月12日だった。

前年の晩夏に彼女は初潮を迎えていたがこれを見送り、

ゴールデンウィーク明けに晴れて夫婦として結ばれたのである。


平成6年度は彼女にとって初めての猟期となったが、

彼女がまだ1歳を迎えていない11月初猟の頃のことである。

K市に曽我部という所がある。

K市の市街地から遠く外れた谷間の入口にあり、

大阪府の茨木市へ山越えで通じている府道からほど近い集落である。

府道から山側へ入り進んで行くと左手に寺院があり、

右手には何軒かの集落が点在している。

集落の途切れたあたりで右へ曲がると耕地が広がり、

山側へ進むにつれて荒地が点在していて

キジの棲息には恰好の様相を呈していた。


車を止め、彼と彼女両方を出して小川に架かる小さな石橋を超えた。

以前にこの橋下で突然の雨に降られた時に雨宿りしたことがあったが、

裏側に30cm径ほどのスズメバチの巣があるのに気付き、

慌てて逃出したことのある橋である。


当然だが、この時はまだ彼女はキジなどを咥えたことがなく、

山に行っても小鳥や蝶々、

バッタなどを追いかけているような状態だった。

石橋から暫く真直ぐに進むとやがて山裾の小潅木が点在しているあたりへ出る。

私が山裾へ向かって進んでいるのを確認して、彼は潅木の中に姿を消した。

彼女はと言うと、石橋を越えた土手道を右の方へ進み、

何かを探しているように時折小川の方へ降りたり、

反対側の田に足を突っ込んだり、

なにが楽しいのか、飛跳ねるように動きまわっていた。

名前を呼んでも聞こえているのかどうか全く意に介してないようで、

彼女は土手道をどんどん進んで行った。


この時の位置関係は彼を頂点にして私、彼女という巨大なL字型になっていた。

まあ気が付けば追いかけてくるだろうと前方へ進み出した時、

はるか右手からキャンキャンという彼女の悲鳴が聞こえてきた。

見ると彼女は下流のもう一本の橋あたりで何頭かの犬に囲まれて、

恐怖のあまり立ちすくんでしまっていた。


予兆はあった。

この日、府道から右折し集落にさしかかる手前で、

1頭のMIXが放されているのを目にしていた。

何事もなくその前を通過したのだが、

その犬は私たちが通り過ぎるのをじっと食い入るように見つめていて、

私とも瞬間だが目線が合っていた。

その犬がいつの間にか仲間を集め、

私たちに接近していたのである。


彼らにしてみれば、よそ者が闖入して来たということになるのであろう。

2度の出産を経て、9歳になろうとする今では見る影もないが、

やがて1歳を迎える頃の彼女は、

仔犬の時とは見違えるほど美しくなっていた。

散歩の時なども道行く人々を振返らせるほどの容貌を備えていた。

白とオレンジの斑ではあったが、白地が多く輝いていた。

彼女の白は光を吸収する乳白の白ではなく、

キラキラと光を反射する白であった。

砂糖にたとえれば精白糖ではなく、

グラニュー糖のような光沢があった。

遠くから見ても白さが際立ち、

行く先々で犬好きの人々に可愛がられた。


この時の事件を振返ってみると、

プラチナブロンドでナイスバディーな都会のギャルが、

ピクニックか何かで遊びに来ていて、

村の若い衆が、このフランスのお嬢さんを

少しからかってみようかと言ったところだったのか。


彼女を呼び戻しても恐怖のあまりか動こうとはしなかった。

私は直ぐに彼の名を叫んで犬笛を吹いた。

私に呼ばれたら何をおいても彼は戻ってくる。

彼らが飼い犬なのか野犬なのか素性が知れず、

目的が何であるのかも分からなかった。

普通の犬なら棒切れを振回せば逃げて行くが、

猪猟に使われている犬なら、人体に害を為さないとも限らない。

私とて犬と格闘したことなど皆無であった。

銃を襷に背負い直して護身用のバック社のガイドナイフを鞘から抜き、

小走りで彼女のいる橋へ向かった。


土手道に達した時、

私の左はるか前方を彼が斜めに田畑を横切って、

全速力で走って行くのが見えた。

彼女が取囲まれている橋の方向へ一直線に進んでいたのである。

やがて彼はその素晴らしいスピードを維持したまま、

囲みの中へ飛込んで行った。

余程の気迫だったのか、

瞬時にパッと蜘蛛の子を散らしたように囲みが乱れ、

彼らはある程度の距離をおくように四方へ分散した。

その後彼が逃げようとする1頭の犬に向かうと、

それを見てその犬は全速力で逃げ出した。

彼が追った。

走力の差は歴然としていた。

彼の走りは美しかった。

鍛えられた筋肉がもたらす上下動の少ない滑らかな走りであった。

胴体だけを見ていれば、とても全速力で駆けているようには見えなかった。

まるで新幹線が阪急電車を呑み込むかのように、

数十メートルも離れていた距離が見る見るうちに縮まっていった。

彼が追いついた瞬間2頭の体が転がり、土煙が舞った。

その犬は起上がるとまた逃げ出したが、

彼はもう追うことはしなかった。


橋の方へ目を向けるといつの間にか他の犬は姿を消していて、

そこには彼女だけが立っていた。

彼女はキュンキュンと鼻を鳴らしながら歩いて来て、

身体を擦り付けるようにして私に纏わりついた。

こうして私たちは橋のたもとで合流し、この地を後にしたのである。


何故私がこの時の事件を書く気になったのか、

今でも理解できないことがあるからである。

彼のとった行動はおそらく群れを守る習性の現れだったのであろう。

彼は私に呼び戻された。

従順な彼はまず私のところまで戻り、

私と一緒に彼女の所へ向かう筈だった。

つまり、L字型の線に沿って進むと考えていたのだ。

しかし、彼は私の所へは戻らず、

L字の頂点から三角形を描くように直行したのである。


絶対的な私の呼び戻し。

しかし彼はその前に彼女の悲鳴を聞いている。

果たして彼にとってどちらが優先すべき事態だったのだろうか。

目的と結果は同じでも、

その過程において彼は彼女の悲鳴に対応するのを優先したのである。

彼が私との関わりの中で、呼び戻しに応じなかったのは恐らくこの時だけであり、

この点が未だに不可解なのである。

いくらなんでも彼女の悲鳴と私の呼び戻しとを瞬時に結びつけ、

状況を判断して最短距離を走ったとまでは考えにくい。


多頭数から何故あの1頭を選んで追いかけたのか。

下位の犬を攻撃されたらボスが乗り出してくる筈である。

あの1頭が集団のボスだったのか、

行く道で見かけたあの犬だったのか・・・

ブルトンは攻撃性が皆無と言っても過言ではない。

犬同士の喧嘩が強い、弱いというよりも、

他犬と争うことがまず無いのである。

彼は自分より大きな犬から仕掛けられると応酬したが、

自ら挑んでいくようなことはしなかった。

しかしこの時彼は単身で囲みの中に飛込んで相手を蹴散らし、

命がけで彼女を救ったのである。


相手が遊び半分で彼が真剣だったからこの結果だったのか・・・

一般的に、

主命と群れを守る使命と、犬はどちらを優先するものなのだろうか。

持ち合せた本能である後者ならば納得できるのだが、

もしそうでないとすると、

私は或る種の淋しさを拭えない。


この翌年の猟期に、彼はもう一度彼女を救っている。

相手は猪猟中の2頭の紀州犬だった。

1頭は目元に大きな傷跡が残り、

正視に耐えない恐そうな形相をしていた。

彼はまともに戦って勝てる相手ではないと見抜いたのか、

この時は争うことをせず、

2頭を自らに引きつけて斜面を登り、

沢筋に彼女の退路を確保すると、

その後何事もなかったように悠然と廻り込んで、

私の後方へ待機したのである。


彼の走力をもってすれば、

2頭を振り切って逃げ切ることなど、いとも簡単なことだった筈なのに、

紀州犬とは言え鉄砲を持っている人間に向かっては、

決して攻撃してくることはないと確信していたのだろうか。

2頭がその場を立去ったことは言うに及ばない。


いくら贔屓目であると言われようとも、

単に狩猟に関してのみならず、

当面する事態に対して剛に柔に、

非凡な対応能力を見せた彼をこそ、

名犬と呼ぶに私は憚らない。


=つづく=


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